BOOK_SB
□04
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うろたえる私の前で、彼女は重箱に素早く蓋をして下げた。
そして今度は彼女の方が正体無げに部屋のあちこちを見るので、私は迷ったあとで、机の上から筆と紙を取ってきた。
「こ、これ……口が利けないんだったら筆談とか……出来る?」
「……っ」
すると、彼女は困惑した顔で筆と紙を見つめた後、それを手に取った。
眉をいっぱいいっぱい寄せて唇を噛む表情が、なんだか新鮮だ。
もしや字は得意じゃないからそんな顔をしたのかも、と思い当たったが、彼女はサラサラと紙に字を書きつけた。
そして渡してくる。
それを受け取って表を見た私は、二重の意味でビックリした。
何故ならそこに、何とも何とも何ッとも綺麗な字で、「なんでもない」と書かれていたものだから。
「は……え?」
あれだけ取り乱して、“なんでもない”?
「え、つまり……うん?ていうか、字……めちゃくちゃ綺麗だな……!」
女の子は筆を置き、困ったようにそっぽを向いている。
その表情がちょっと可愛い。
「こんな綺麗な字を書く女の子見たことない!書道の先生みたい!」
まるで教科書のお手本のように綺麗な字だ。
私には到底書けない線だと思う。
ただの字なのに、見ているだけで溜息が出てしまうような感じ。
いつまで見てても飽きないような……文面は、“なんでもない”なんてシュールなものだけど。
「ふふっ……」
思わず笑うと、彼女が不思議そうにこちらを向いた。
「ああ、ごめん。俺なんかすっごい字が汚いのになぁって思って……」
思いつきで紙と筆を手に取り、そこに“あさき”と書いて「ほら」と見せつけると、それを見た彼女の顔が、まるで苦虫でも噛んだかのようにあからさまに歪んだ。
素直な反応だなぁと思ってまた笑ってしまう。
「俺、きみみたいに料理も出来ないし……情けないなぁ」
「……」
彼女がまた字を書き、見せてきた。
“男には必要ない”
「……男には、か。そうかなぁ」
本当は私、女の子だけどね。
良家の使用人として、料理よりも仕事ばっかり教えられてきたからそういうのはからっきしだ。
それに。
「最近は男も料理できなきゃモテない時代だもんなぁ……」
「……?」
彼女が不可解そうに首を傾げたのがちょっと可愛い。
私はまたちょっと笑ってしまいながら正座を胡坐に戻し、その膝に頬杖をついて答えた。
「最近は、“男は外で畑を耕し、女は家で子を守り家事をする”って考え方も変わってきてるみたいだよ。主夫とか言って、男が家で色々やるっていうパターンも……そこまでしなくっても、いざっていうときに料理が出来る男はモテるんだって」
「……」
それでも彼女が怪訝そうな顔をするので、この子は完全に“家で子を守り家事をする”、男を立てる大和撫子タイプなんだろうと思う。
「もし俺が女でも、料理が出来る男っていいと思うなぁ……」
正直、これはあさきではなくいろはとしての本音だ。
冗談交じりに笑いながら言うと、彼女は何度か瞬きをした後で難しい顔をして、私から視線を外した。
そんな様子を私は緩んだ顔で笑いながら見つめていたのだが、
「……?」
……彼女を見つめる私の目を、瞼が何度も何度も、異常に遮った。
何だろう……瞬きが多い……というか、瞼が重い。
「あれ……?」
急に頭に霞がかかってきたような感じがして額を押さえると、女の子がまたこちらを向いた。
「ご、ごめん……なんか急に眠たくなってきて……あれ……?」
目を擦っても目が冴えない。
それどころか欠伸まで出てきて、本格的に寝てしまう感じだ。
なんで急にこんなことになったのか分からない。
あまりにも眠気が不自然に増幅して襲ってきたのが少し怖かった。
「な、なんで……」
戸惑う間にもフラフラと船を漕ぐ私の視界に、彼女の腕が飛び込んできた。
私を支えようとしているその腕を辿って顔を見上げれば、彼女は何故か、とても……沈痛そうな表情をしていた。
なんか……私にものすごく謝りたいことでもありそうな。
何かをものすごく後悔してそうな、そんな顔だ。
「どうしたの……なんでそんな顔してるの……?」
謝らなきゃいけないのは私の方なのに。
今だって、目を開けているので精一杯なくらい、本当に眠い。
折角友達と一緒にいるのに。
私がボーロを食べてしまったのは本当に良かったのか、“なんでもない”で本当に済ませちゃっていいのかも気になるし。
それなのに、駄目だ。
「折角来てくれたのに、ごめんね……俺、本当……ごめん、もう……無――」
無理、まで言えず、欲に負けて倒れ込んだ。
やっと眠りにつける満足感の中、やけに焦燥していたような彼女のことだけが気がかりだった。
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