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□波紋。
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 なぜだろう。その笑顔を見た瞬間、目の前にいる親友が見たこともない別人のように思えた。








『波紋』









「へぇ?合宿するんだ」


 昼休みの教室である。七月に入っても梅雨はまだ明けないが、梅雨の中休みらしい今日は夏真っ盛りと言わんばかりに朝から気温がぐんぐんと上がり、昼を回った頃には今季最高気温を記録していたとか。
 そんなことを知るはずもない唯は、和の返事にだらりと机に突っ伏して「そーなのー」と答える。
まだ梅雨明けもしていないのにと言われると、このべったりした暑さが嫌なのーとうんざりと呻く唯は暑さに弱い。
 昔から暑いの苦手だったものね、と親友の見慣れた姿に笑ってしまう和も、この張り付くような暑さには辟易してしまう。
 扇風機もエアコンもない教室では窓を開けるくらいしか涼を取る方法はなくて、しかしその頼みの綱であるはずの外からの風さえ、むっとした生温さを含むため、生徒たちの反感を一斉に買っている。
 それでもないよりはマシなわけで、あちこちで下敷きを団扇がわりに扇ぐ姿が目に映った。


「軽音部初合宿は海の見える別荘に決まったんだよぉ!!」

「べ、別荘って、凄いわねぇ軽音部」

「本当だよねぇ、別荘の前には海もあるんだってよ?昼間は海で遊んで夜は花火にバーベキューしてぇ…えへへ〜すんごく楽しみぃ」

「………えーっと、合宿に行くのよね唯。軽音部の。遊びに行くんじゃなくて」

「ふぇ?合宿だよぉ?」


 きょとんと首をかしげて、なにを急に、当たり前じゃないのさと答える唯に、和は心底軽音部の面々に対して申し訳なく思った。
 確実に合宿イコール遊び>>>>>>>>>練習となっているだろう唯の頭の中。ただでさえ横道に外れやすい…むしろそれが当然で自ら先頭を切って横道を全速力で突っ切る唯の舵を取る事がいかに困難か、長年連れ添っている和には痛いほど分かる。
 今もキラキラと目を輝かせて、「青い海、白い砂浜…お肉…はぁぁぁ…」と気持ちはすでに遠い日へ飛んでいる親友を和は苦笑して見つめた。
 反面、唯がここにきてようやくやりたい事を見つけることができて嬉しく思ってもいる。


 これまでの唯は、自分から何かをしたいという欲求もなくクラゲのようにふわふわと学生生活を送っていた。
 中学まではそれでもいいかもしれいが、高校となると進路というものが出てくる。自分の進む路を決める重要な時期だ。今までのようにふわふわと漂うだけでは、いずれどこかで壁にぶつかってぺしゃんこになってしまうだろう。


「なにかやりたいことを見つけるんだ!」


 高校へ入学するとき、唯は和にそう宣言していた。唯も思うところがあるだろう。なにかをきっかけに前向きになることはとてもいいことだと思うし、軽音部に入部して(入部の動機はともあれ)ギターを買ってからは練習に余念がない様子である。
 親友というよりも姉のような気持ちでこれまで唯の側に居たが、新しい環境と仲間が良い意味で唯に影響を与えて、自主性が育っているのを見ると、そろそろお役御免かな?と和は少し寂しく感じる事に気づいたのはつい最近のこと。
 なにかと和の後ろをぽてぽてとついてきた唯。それを嫌とは思わなかったし、むしろついてこないと心配で何度も振り返ったりしたていたあの頃。それは当然今もだけれども。
少しじゃなくて相当寂しいかもしれないわね、と思うあたり、和も憂の事を笑えない。

 唯の妹の憂は、あまり唯のようにあけっぴろげに感情を出さないが、その言動の端々に「お姉ちゃん大好きです愛してます」オーラが見え隠れしている。
 姉のためを思ううちにいつしか「しっかり者の妹」と呼ばれるようになったが、実のところ「おねえちゃんにはいつもいっぱいもらっているから」と話すのは憂で。なにをもらっているのかは、その表情を見てなんとなく察することが出来た。
 それはきっと憂にとっては大切なものなのだろう。大切で、きっと暖かいものなのだろう。

 ただ、付き合いの長い和の目の前で、隠す事も惜しむ事もなくイチャイチャするのは勘弁して欲しいと思うときがある。そのイチャイチャぶりといったら人様に見せられたものではない。確実に万年新婚さんいらっしゃい両親の影響を受けているからだろうが、他人が見たら微笑ましいで許される範囲でないことは間違いない。

 そんな妹のことだから、きっと離れている間も姉のことを気にかけているのだろうと思う。和は暑さで再び机に突っ伏す親友を見下ろした。
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