神喰

□譲れないものB
1ページ/1ページ







「痛みはありますか?」
「いえ、大丈夫です」

 病室に運ばれて五日がたち、怪我の経過もいいようで、私は通常勤務へ戻れることとなった。勤務に戻れるのは嬉しいが、傷が治るのが異様に早い。

「……傷跡はまだ残っていますが、しばらくすると目立たなくなると思います」

 看護師により包帯がほどかれると、鏡合わせで傷跡を見せてくれた。薄い背中の肉がえぐられた痕は生々しいが、確かにもう塞がっている。痛みのほうも二日ほど前には感じなくなっていた。偏食因子を取り込んでいる身体は、そのオラクル細胞のおかげで肉体の耐久力がずば抜けて上がるという講義を受けていたが、まさかここまでとは思わなかった。

 服を着ながら看護師に礼を言うと、荷物をまとめて病室を出た。

「っ、と……」

 分かっていたはずの、異形の身体になったという事実が、一瞬足下をふらつかせた。






「カムラ?いる?」
「あ、はーい、開いてますよー」

 久々に部屋に戻ると、さっそく、サクヤさんがやってきた。

「もう大丈夫?」
「はい、大丈夫です。すみません、来ていただいて。こちらから行こうと思ってたんですが……」
「いいのいいの、あなたは私の恩人なんですもの。それにそんなに堅苦しくしないで?なんだか話しづらいわ」

 それより、と言ってサクヤさんは扉をしっかりと閉じた事を確認すると、私に「傷、ちょっと見せてくれないかしら」と言った。私は一瞬戸惑ったが、言うことに従った。
 サクヤさんの誘導のままベッドに腰掛けると、上着とインナー、続いて下着を脱ぐ。外気に触れた肌が軽く震えた。

「……こんなに………」

 背中から息を飲む気配を感じた。無理もないだろう。傷は肩甲骨から腰のあたりまで、赤黒い三本のラインが綺麗に走っている。ある意味これで収まったから幸いである。あと1センチ深かったら、命が無かったかもしれないとかなんとか。

「あ、けどもう痛みもなにもないんです!神機使いは傷の治りが早いって、今まで対した怪我してなかったから気にしてませんでしたけど……やーこうしてあの怪我が治ると、ようやく実感しちゃいますよねー」

 心配させまいと、私はあわてて付け足したけど、傷の大きさからすると説得力に欠けてしまう。

「……っ……」

 不意に、背中に触れた、手。

「こんな、綺麗な背中なのに…………あら……?」

 指はするすると下へ腰へと滑り、そこへと落ちた。
 たまらなくなって身をよじると、サクヤさんは「あ、ごめんなさいね」と手を離した。それでも視線は腰に留まったまま動かない。

「ねぇ、カムラ。左腰の……この傷はどうしたの?」
「あぁ、子供の頃の傷です。アラガミに襲われたときの。さすがのオラクル細胞も、取り込む前の傷までは再生出来ないんでしょうねー」

 腰にあるのは幼少の時にアラガミに襲われた時に出来た傷だ。あの時も確かヴァジュラだったはず。まったく、あの雷猫とは相性が悪いのかもしれない。とはいえ、どういう状況で襲われたかは覚えていない。覚えているのは、大怪我をした私をシスターが抱いて助けてくれたことだけで。
 痛ましげな視線から逃れるように、私はいそいそと服を着てサクヤさんに向き直った。とたんに柔らかい衝撃が身体を包む。

「……?」

 一瞬なにが起きたかわからず、数秒遅れて状況を把握する。サクヤさんに抱きしめられていた。

「……ごめんなさい、本当は私がキミを助けなければならないのに、こんな傷まで作ってしまって。けど、お願いだから無茶はしないで」
「いえ……でも、傷の事ならもう大丈夫ですよ、そのうち消えるって言ってましたし、もう現場復帰もできますし」

 そういうことじゃないの、とサクヤさんは小さく呟いた。体を離し、困ったような怒ったような、けれど強い眼光で私に言い聞かす。

「そんなに簡単に自分の命を危険に晒さないで。今回は無事だったけど、次に同じ事をして無事でいられるとは限らない。キミはまだ経験が浅すぎるわ。神機使いになったからといって、力を過信しないで」

 無茶をするのであれば、それなりの実力を身につけてからしなさい。
 容赦のない厳しい言葉が胸を突いた。
 確かにあの時、一歩間違えていたら二人とも命がなかっただろう。必死だったとはいえ、よくあんな行動をとれたものだと、思い返しては今更ながら震えてしまう。あの判断が正しかったかと聞かれたら、私はなんとも答えられない。もっといい方法があったかもしれない。
 サクヤさんの言う経験とは、いくつもある選択の中から、一等安全で最善の判断が出来るまで、多くの場数を経験しなければならないという意味なのだろう。
 先輩からみた私の判断はきっと、浅はかなものだったに違いない。私は己の軽率さを悔やみ、素直に反省した。

「……ごめんなさい」
「うん。謝らないでもいいわ。ただ、間違っても私たちよりも先に死んだりしちゃ駄目よ? ……そういうのは、もう、たくさんだから」

 視線を落とすサクヤさん。この人だけでなく、リンドウさんやツバキさん、まだ面識のない他のベテラン神機使いたちも、きっとそういう早すぎる死を見つめてきたのだ。
 もうこの人たちは死ぬことすら出来ない。自分たちが死ぬことでどれだけの人が、どういうことになるかを知っている。たった一つの判断ミスで、このアナグラさえ明日にはなくなるかもしれない。そんな重すぎる責任を背負っているのだ。

「はい」

 そして、私もその中の一人。戦場に出ればベテランも新人も関係ない。一人のゴッドイーターなのだ。
 そう、だらこそ焦ってはいけない。強くなることを、力や自己犠牲ばかりに目を奪われてはいけない。ではどうすればいいのか、それをこれから「経験」していくのだ。
 その反面、それでも、と思う自分がいる。それでも目の前で先のような場面に出くわしたら、私は考えるようりも先に体が動いてしまうだろう。

「……すみません、サクヤさん」
「もういいわよ」
「いえ、そうではなくて」

 よかったと思ってしまう。
 この綺麗な背中に傷がつくことがなくて。
 守れることができて。盾になることができて。

「もう実力に伴わない無茶はしません。けど、それでも、私はサクヤさんの盾になれてよかったと思ってしまうんです。この傷痕が他の人に残ることにならなくて、よかったって、思ってしまうんです」
「………あなた……」

 微笑みさえ浮かべてそんな事を言う私を、サクヤさんはなんとも言えない表情で見つめた。たった今、無茶しないと言った口で、まったく真逆なことを言う私を、この人はどう思っているだろう。
 呆れてしまっただろうか。がっかりされてしまっただろうか。
 これがどれほどのワガママで、独りよがりなのかを知っていて。結果、こうして誰かを心配させてしまっているのに。これが私の本心なのだ。

 どうか許して欲しい。強くなるから、心配されないくらい強くなってみせるから。あの日誓った私の誓いを許してほしい。




譲れないもの・終。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ