「こんにちは」
夏休みのお盆。
お母さんに頼まれて台所で麦茶をみんなのコップに注いでいるとき、声をかけられた。
低い男の人の声だ。
誰かがいたということに驚いて、ばっと後ろを振り返る。
最初に見えたのは、白いワイシャツ。
見上げると、見知らぬ男の人が柔らかい眼差しで私を見下ろしていた。
(背、高い)
心の中でそう呟く。
私は伏し目がちに小さな声で返した。
「――こんにちは」
男の人はくくっと喉で笑った。
そうすると、声がいっそう低くなるものだから、私はどきりとする。
「詩織ちゃん、ですね」
「はい。そうです」
名前を知られていた。
この人は誰なんだろう、初めて見る顔だ。
よくよく拝見すると、彫りが深く整った顔立ちをしている。
少し癖のついた前髪が額にかかり、陰りができている。
そのせいだろうか、少し怖い印象を受ける。
男の人の目が細まる。
「大きくなりましたねえ」
頭を、撫でられた。
大きくあたたかい手のひらが優しく髪に触れてくる。
気持ちよさと、遅れて恥ずかしさ。
「ちょ、と」
「前はこんなに小さかったのに」
片方の手で、りんごぐらいの大きさを表す。
(あり得ませんよ!)
言い返したいけれど、悲しいことに言葉というのは大事な時に限って意味を為さない。
なんだかもどかしい気分になる。
あ、そうそう、思い出したように男の人が喋る。
「お茶、こぼれてますよ」
「えっ」
慌てて前を見る。
ペットボトルの中身はほぼなくなり、こぽこぽ注ぎ続けたお茶はコップからたくさん溢れ出ていた。
シンクに流れている筋もある。
「うわ、わわわっ」
「あははは」
慌てふためく私を見ながら、おかしそうに腹を抱えて笑う男の人。
そして、そのままみんなのいる和室へと行ってしまった。
「な、なんなの。あの人――」
大きな背中を呆然と見つめながら、小さく溜め息を吐いた。
ユー?(何がしたかったの)