novel


□花の名は知らない
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秋の初めの空は、夏に比べると少し遠い。
見上げると、霧のようにかかる雲が、ゆったりと薄く伸びて、高い空へと溶け込んでいく。
秋晴れの午後。暖かい日差し。昼寝をするには絶好の時間帯だ。

ぼんやりと空を眺めながら、ドールは草花の絨毯を敷き詰めたような緩い坂に寝転び、読んでいた本の頁をぱたりと閉じて側に置いた。
下ろした手の先に、薄青い小さな花を見つけて思わず顔が緩む。
この国から脅威が去り、平和になってからずいぶん月日が流れたが、こうやってのんびりと過ごすのは久しぶりの事だった。
視界の端を、そうさせてくれない原因でもある人物の影が掠めて、ドールは一人で苦笑する。

本当は今日だって、日々の日課となっている街周辺のモンスター退治をするために、この場所へやって来た筈だった。
今回のように誰かの依頼を受けて、という場合もあるが、大抵はマテリアが自主的に剣を振り回したくてドールを巻き込み、ついでに巡回もしておくという趣味と実益を兼ねたパターンの方が多い。

今日がいつもと違うのは、依頼された筈のモンスターの気配が何処にも無かったという事だった。
場所を間違えたかと、依頼人である町長から預かった包みを開けば、そこには見慣れたフロイドの筆跡でたまには休むよう書かれた手紙と、二人分のお弁当。
「これは……完全におじぃに嵌められたわね」
わざとらしいしかめっ面をして手紙を畳んでから、お重の包みを嬉しそうに覗いたマテリアは、驚かせるのが本当に好きなんだからと呟く。
さすが長年一緒に暮らしているだけのことはあるなと、ぶつくさ言いながらも早々と昼食の用意をする彼女を側で眺めながら、妙な所にドールは感心したのだった。

もう一度、日だまりで柔らかくなった風を吸い込むように欠伸をした時、マテリアの呼ぶ声が微かに聞こえてドールは滲んだ瞼を擦り、目の前で咲いている一面の花畑を眺めた。
風でゆらゆらと細い茎が揺れる秋色の花達の中で、マテリアがこちらに向かって手を振りながら駆け寄ってくるのが見えて、身体を少し起こして手を振り返す。

「何か読んでたの?」
駆け寄ってきたマテリアは、手元に置かれた分厚い本に目をやった。
「うん……魔法書」
「あらもったいない」
芝居がかった口調で言うと、一通りはしゃぎ疲れたのか、マテリアは再び頭を落としたドールの横に座って大きく息をついた。
「こんな綺麗な花が咲いてるってのに」

「へぇ……花より団子、団子よりモンスターのマテリアが珍しい事言うんだな」
「花畑のど真ん中で、魔法書に夢中になっちゃうような人に言われたくないわよね」
ぱらりと魔法書をめくってからすぐにそれを閉じたマテリアは、寝転んでいるドールの鼻を遠慮せずに摘む。
「……痛い」
「おばさんの作ってくれた美味しいお弁当を食べた所だし、モンスターはこの辺に居ないみたいだし、たまにはゆっくりお花見も悪くないかなと思っただけよ」
「弁当はともかく、この辺りのモンスターは、誰かさんが殲滅させちゃったから居ないんだろ、多分」

鼻を摘まれたまま喋るドールの声に笑うと、マテリアは手を離し、眠そうに欠伸をしながら笑って目を閉じたドールを覗き込んだ。
「ねえ、昼寝するなら膝枕してあげよっか?」
しばらく目を閉じたままかけられた言葉を頭の中で反芻して、それからドールは息をのんでがばりと起き上がる。
「なっ……急に何言ってんだよ」
反動で、ややのけ反ったマテリアは意外そうに目を丸くした。
「あら、昔はよくしてたじゃない」
今更何言っちゃってるのよね、と無邪気に笑うマテリアの言葉を苦々しく思いながら横目で聞き流すと、ドールは膝を抱えた。




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