人体民警 書庫(短編)

その殺害方法を述べよ
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「殺しちゃうかも」

ウェイターが料理を運んできた直後に、コプチェフが突然、しかめっ面でそう言った。

「は?」

ボリスはコプチェフの声をはっきり聞いたけれど、意味がわからずに聞き返す。
普通そうだろう、いきなり「殺しちゃうかも」なんて言われて、「そうか、じゃあ監獄行きだな」なんて言えるわけがない。
そもそも直前までは、食べている料理に入っている調味料がどうのとか、そんな平和な話をしていたはずなのに。何故そんな深刻な内容になるのかボリスには全く理解できなかった。

コプチェフはテーブルに肘を付き、少し俯いて額に手を当て頭を支えている。
ボリスは確かめるように、もう一度問うた。

「何だって?」
「…俺、殺しちゃうかも」
「…ころ、」
「自信ない」
「…お前、……酔ってんの?」

コプチェフのショットグラスに注がれたウォッカは確か、まだ5杯目だ。今は空になっているけれど、ついさっきグイと一気に流しこんだのを見た。
それを飲み下す為に、ぐにゃりと動く彼の喉仏を盗み見ていたので、その回数と同じはずだった。だからよく覚えている。

ボリスは一瞬瞼の裏に浮かんだそれを振りきる様に、頭を掻いた。

コプチェフは酒に弱い方では無い。むしろ、有る程度強い。ザルである自分が言うのだからそこは間違いない。大抵の飲み会は最後まで居るし、最後まで飲んでいる。
どちらかというと、誰かの介抱にまわるようなタイプなのだ。根っからの世話好きというか何と言うか。正体を無くした同僚をタクシーに乗せ、全員から会費を徴収し、何故かそういった役割が彼に任されるのは、飲んでいる割には正気だからかもしれない。
時折、眠いと言って飲み会の最中に眠ってしまう事はあるが、定量オーバーによる泥酔など、見た事が無かった。

それにしたって、今日は酔うのが早すぎる。

ショットグラスに、たった5杯。

「体調でも悪ィのか」
「何で?」
「まだ5杯だぞ」
「よく覚えてるね。…ていうか、まだ酔ってないよ」
「…、」

ボリスが言葉に詰まると、コプチェフは顔を上げた。
何故だか笑っている。ニッコリというよりは、ニヤニヤ、という感じで。

ボリスは思わず目を細めた。彼がこういう顔をする時はロクな事がないのだ。子供みたいに下らないイタズラを仕掛けてくる…ぐらいならまだいい。自分がそういうおふざけの対処に慣れていない事を、彼は知った上で遊んでいるのだ。それはいい、自分も下らないイタズラをする事くらいはある、だからまぁ、許せる。
ただコプチェフのイタズラは、時にかなり間接的で。その罠にハマってしばらくしてから、自分がとんでもない失態をやらかした事に気づく、というパターンが多いのだ。

してやられた、と気づいた瞬間の羞恥心は、何度引っかかってもバツの悪いもので。

「…何企んでやがる」
「え、何の話?」
「お前がそうやってニヤニヤしてる時は、ロクな事がねぇ」
「何も企んでないよ?」

きょとん、としたコプチェフの顔は、嘘をついているようには見えなかった。じゃあさっきの気色悪ィ笑みは何なんだ、とボリスは思いながらも、話の筋を元に戻した。

「せめて俺が監獄送りにしてやるよ」
「は?」
「誰か殺すんだろ」
「…あー、まぁ、殺しちゃうかも、って話だよ」
「それ、本人が聞いてたら脅迫になんぞ」

コプチェフはこちらを見て一瞬目を丸くしてから、ククっと喉で笑って、「そういや、そうだね」と言った。
何かいつもと違う、違和感があった。らしくない、というか。

「…お前さ、マジな話、酔ってんじゃね?」
「酔ってないって。何で?そんな事よりそれ、冷めるよ」

コプチェフが、ほら、早く食べたら?と急かしてくる。

テーブルの上には、大好物であるビーフストロガノフがある。これは本当に、好物中の好物である。
世界中の料理が失われる事態が起きようものなら、自分は身を呈してこれを守るだろう。そんな下らない事を考えてしまうぐらいに、好物なのである。

「美味しいお店見つけたから、連れてってあげるよ」とコプチェフが話を持ちかけてきたのは昨夜、仕事の帰りだった。
たまたま帰宅時間が一緒になったボリスとコプチェフは、宿舎までの帰り道、久し振りに二人で歩いた。午前12時を少し回ったくらいの時間だった。

人通りが少ないとはいえ、完全に途切れるわけでもないその路地で。

不意に、抱き寄せられて。

キスを。






…違ぇよバカ、

そんな事ぁ
今関係ねぇだろ俺






ボリスは思わず頭を掻き毟った。コプチェフが目の前で、目を丸くしながら疑問符を浮かべている。
所構わずそういった記憶が蘇ってくるこの不便な頭を、どうにかしたいと最近本気で思い悩む。何でもないちょっとした瞬間に、突然思い出されるそれはかなり、心臓に悪い。
違う事に集中しようと、ボリスは目の前の皿に盛られたビーフストロガノフにスプーンを突っ込んだ。バターライスと一緒に大きくすくって、口に運ぶ。

「…うまっ」

ボリスが思わずそう呟くと、コプチェフは笑いながら「良かった」と言った。ニコニコと、今度はさわやかな笑みを浮かべながら言うその言葉に、ボリスは何となく居心地が悪くなる。
喜んで欲しい、美味しいと言って欲しい、…なんだか彼はそんな顔をしていた。
ボリスは何も言えなくなって、ただひたすらスプーンを口に運んだ。ガッと大きくすくって、ガブリとスプーンに噛みつく。
スメタナソースがたっぷり入ったそれは、「大好き」に更に言葉を上乗せしたいくらいに美味しい。
ちょうど半分くらい食べたところで、コプチェフがショットグラスにウォッカを注いできた。お、悪ぃな、と言葉を発したボリスは顔を上げ、ショットグラスに手を伸ばした形のまま固まる。






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