人体民警 書庫(短編)

この冬の始まりに
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パトロールの無い平和な午後。
書類に目を通していたボリスがイスの上で仰け反り、大きく伸びをした。
コプチェフは視界の隅でそれを見ながら、きっとボリスにとってはパトロールより、事務処理の方がしんどいのだろうな、と思う。

そこは自分も、同じなのだけれど。

しばらくぼんやりと外を見つめていたボリスは、数回頭を掻いてからポツリと呟く。

「…秋も終わるなぁ」

手にあった資料を捲りながら、そうだね、と答えようとしてやめた。
何だか、資料の内容が頭に全く入ってこない。時計を見やれば、この作業を始めてからもう3時間も経っていた。その間少しの休憩も入れずに行っていたのだから、集中力が途切れても仕方無い。

「ボリス、コーヒー飲む?」
「おー」

コプチェフの問いかけに、気の無い返事をしたボリスはまだ窓の外を見ていた。

季節の変化を感じると、何だかボリスは時々寂しそうにする。いや、それが寂しいという表現で合っているのかは正直疑問なのだけれど、コプチェフにはそう見えるのだ。
夏が終わって、秋になる頃ちょっとだけ寂しい気持ちになる、というのは分かる気がするのだが、ボリスはそうじゃない。
多分、自分の気付かない内に季節が移り変わろうとしているという事実が、気に入らないのだ。だからそれが冬から春になる時であろうが、春から夏になる時であろうが、そこは全く関係ない。

ボリスのカップに砂糖を2杯半、ミルクを少量入れる。意外な事に、彼はあまりブラックでは飲まないようだった。
時折眠気を覚ます為にそうする事はあっても、日常飲むコーヒーは必ず、砂糖とミルクを入れる。

なんだかそれを可愛らしいと思うのは、まぁ自分の頭がおかしいせいなんだろうけれど。

「はい」
「んー」

手渡されたカップに唇が付く寸前の所で、ふぅ、とコーヒーに息を吹きかけるボリスを見つめた後、コプチェフも窓の外を見た。
街路樹の木々はもうほとんど葉が落ちて、風も冷たい。冬になる一歩手前の、乾いた風がその枯れ葉を飛ばしていく。

「俺、冬ってあんま好きじゃねぇなぁ」

ボリスの声で振り返ると、彼は包むように両手でカップを持っている。
なんでいちいちそんなに行動が可愛いんだろう、とコプチェフは思った。けれど間違っても言えない。彼は多分、手が冷たいだけなのだ。それを温めようとして、両手で持っているだけ。

「俺好きだよ、冬」
「なんで」
「っていうか、全部の季節が好きかな」
「変わってんな、お前」
「そう?じゃあボリスはどの季節が好きなの」
「んー…春とか?」
「なんで?」
「…なんとなく」

何それ、とコプチェフが言うと、ボリスは小さく笑った。多分適当に言っただけなのだろう。

「初めての冬だね」
「あ?」

ボリスが不思議そうにこちらを見る。まだ両手でカップを包んでいる彼は、一瞬だけ仕事に関する思考を手放し、完全に無防備な顔をさらしていた。

前は署内で、そんな顔をする事は無かったと思う。
誰に対しても隙を見せなかった。ましてや仕事場でなんて。
彼はミリツィアの制服に腕を通す瞬間から、多分自分に仮面を付けているのだ。誰にでもあるような、ちょっとした弱さでさえ、彼は見せたがらないから。

それが今はこんなふうに。
2人で居る時は、署内でも。


キスをしたい、と思った。

けれど多分、こんな所でそんな行動に出れば、彼は本気で怒る。
だからしない。

「俺達がこうなってから、初めての冬」
「…だから何だよ」

バカにしたようにボリスが鼻で笑った。コプチェフはゆっくりとボリスに近づいて、近くの机に自分のカップを置く。不思議そうな顔をしている彼の手を、カップごと自分の手で包んだ。ボリスが小さく、「おい、」と戸惑ったような声を上げる。

「ボリス、いっつも手が冷たいーだの、足が冷たいーだのって言ってたじゃん、冬のパトロールの時」
「…っつーか何だこの手」

ボリスが眉間に皺を寄せて、意味わかんねぇ、と呟いた。

「俺があっためてあげるよ、今年からは」
「…、」

両手にギュっと力を入れると、ボリスは片眉を上げてからまた、フンと鼻で笑った。そして唇の端を持ち上げて、言う。


「せいぜい熱、上げとけよ」


あっためてあげる、と。自分で言ったのだけれど。ボリスの返答が少しだけ意外で。
拒否はしないんだなぁ、とか。そんな事を思うと急激に、愛しさが込み上げてきた。
きっと自分は相当ニヤついていたのだろう、ボリスが急に不機嫌になって、「手ぇ離せよ」とドスのきいた声で言った。慌てて離すけれど、ちょっとだけ名残惜しい。

今日は仕事が終わったら部屋に押し掛けて、目一杯抱きついててやろう、とおかしな決意をした。

「…あれ、そういえばボリス、何で冬嫌いなの?やっぱ寒いから?」
「…まぁ、そうだな」
「寒がりだもんなーボリスは」

はは、と笑うと何故だか、ボリスはじっとこちらを見つめている。
何かおかしな事を言ったろうか、と思って目で聞き返すと、彼は手の中のカップに視線を戻しながら言った。

「けど、それも去年までだな」
「ん?」

ボリスがカップのコーヒーを飲み干し、立ち上がる。

「俺、資料室行って来るわ」
「え、ボリス、ちょ、」

コプチェフが目を白黒させていると、事務室のドアノブに手をかけた状態でボリスが振り返った。

「あっためてくれんだろ、今年からは」
「え、」
「…お前が、」

こちらを見たボリスは、口の端を持ち上げてそう言った後、鼻で笑って部屋を出て行った。

中途半端に持ちあげた手が、行き場を無くしてダラリと垂れる。

なんだかあれは。
ちょっとだけ、挑発してるような。


あっためる、なんていう可愛らしい響きなのに、なんだかいやらしい想像をした自分は多分、悪くない。あんな表情で見られたら、嫌でもその先を想像してしまう。

温めるために抱きよせた、その先を。





まるで、目の前にニンジンをぶら下げられた馬みたいだ






コプチェフは思わず喉で笑って、冷たい風の吹く窓の外へもう一度、視線を投げる。



今年の冬は、うんと寒くなればいい、と思った。













2009.11.23
可愛い話が書きたかったのに…何だこれは

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