人体民警 書庫(短編)

この日々に、名前を
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自分はこういう事に、疎い。

そんな事は分かっている、多分最初に彼女が出来た時に自覚したんだろうが、その辺りはもううろ覚えだ。
その後も何人かの女と付き合いはしたものの、結局は同じ事が原因で別れに至ったような気がする。そもそも、自分なんかを選んだ彼女達に男を見る目が無かったんじゃないだろうか。

自分なんか、というのは別に卑下しているわけじゃない。
ただ、原因を分かっていて直そうとしないのだから、こんな男は出来れば避けて通って欲しいと思っているのも事実で。

女たちが喜ぶような事を全く想像できない自分に、彼女達は合わせようと努力してくれた。それには感謝している。決して適当につき合ったつもりはないし、嫌いになったわけでもない。
何だかいっそ、彼女達が気の毒にも思えた。
世の中にはもっと、そういった事を得意とする男たちが腐るほど居るのだから。

…こいつのように。


「ほら、ボリス」
「…あぁ、」

幾重にも重なったそれの間に、生クリームがこれでもか、という具合に挟んである。先から飛び出したバナナとチョコレートソースが、今にも手に垂れてきそうなほど前のめりに身を乗り出していた。

クレープだ。

そしてその有り得ないほど甘ったるそうな黄色い物体を、満面の笑顔で差し出している、男。
自分の相棒であるコプチェフ。

正しく言うなら相棒、というのは違うのかもしれない。自分達は普通なら、有り得ないような関係。巷の言葉を借りるなら、コイビト、とか何とか言うのかもしれないが、自分にはそれは当てはまらないと感じる。
いや、認めるのが嫌なだけかもしれない。

恥ずかしすぎる。

「何ぼーっとしてんの」

コプチェフが突然顔を覗き込んできたので、ボリスはギョッとしながらクレープを受け取った。

冬支度で水が止められている噴水は淵がレンガ作りで、そこに腰かけてじっとしていると、尻どころか全身が冷たいと感じるほどに、外の空気は冷たい。
それでも賑やかな町中は、カップルや女性同士、家族連れ、そういった幸福そうな人間達が穏やかな表情で歩いていて、人気があるらしい車販売のクレープ屋には、ちょっとした行列が出来ていた。

「…いや、別に」

ボリスはわざとコプチェフから目を逸らした。
まだ温かいクレープをじっと見つめてから、先から飛び出していたバナナに口をつける。きっとコプチェフは不思議そうにこちらを見つめている事だろう。分かっていたけれど、そちらは見なかった。

正直に言うなら。
こういう時、どうすればいいのかよく分からないのだ。

いつも通りにしていればいいだけの話なのだろう、けれどこの、賑やかな中で。いい年した男が二人、並んで座ってクレープを食べている姿というのも何だか微妙ではないのか。
勘繰られる事が嫌なのかもしれない。はっきり言えば、そういうふうに見られるのではないかと怯えているのだ。
腹の底から、好きだと思える相手なのは確かだけれど。
だからと言って、おおっぴらに出来る勇気があるわけでもなく。

「怒ってる?」

コプチェフが不意に、問いかけてきた。

「…いや、別に」
「それ、さっきと同じ返事」

喉で笑ったコプチェフを盗み見ると、もぐもぐと口を動かしながら、笑顔でどこかに手を振っていた。ボリスは不思議に思って、コプチェフの目線を追ってそちらを向く。
クレープ屋に並んでいる行列の中に、女の二人連れ。彼女達が、こちらに手を振って何やら騒いでいる。知り合いだろうか、そう思ってからすぐにその考えを否定した。

まぁ、男としては当然の行動だろう。特にこの、紙のようにペラペラで軽い男としては。
ボリスはさほど、そこに苛立ちは感じなかった。別に好きにすればいいと思う。

「怒ってる?」

コプチェフが再び問いかけてきた。ボリスが行列からコプチェフに視線を戻すと、ニコニコ笑いながらこちらを見ていた。クレープを頬張っているせいで、リスのように頬が膨らんでいる。

「何で俺が怒んだよ」
「え、女の子に手ぇ振ってるから」
「は?意味わかんねぇ。勝手に振りゃいいだろ」

フンと鼻を鳴らすと、コプチェフはちょっとだけ面食らった顔をしてから、「嫉妬心とか無いの?」と聞いてきた。
言われて初めて気付く、普通はそういうものなんだな、と。

「無ぇ」
「…ふぅん」

コプチェフの手の中のクレープは、ボリスのものと同じように生クリームが詰まっているものの、中身はバナナではなく数種類のベリーが入っているようだった。
赤いソースが、巻いてある紙に染み出して慌てている。

その横顔を眺めてからふと、コイツもしかして、モテるんだろうか、と思った。

それまでは考えた事も無かった。この男が女にモテるかどうかなんて、どうでもいい事だったわけで。ボリスは何の気なしに、訪ねる。

「お前って、モテんの?」
「ん?」
「女に」
「まぁ、それなりに」
「…ふぅん」
「何、気になる?」
「全然」

ちょっとだけ笑った顔のコプチェフの、その表情をじっと見つめた。こういう顔がモテる顔なのか、と判断する為の時間だった。
毎日見ている顔なせいか、整っているとか、それこそモテそうだとか、本当に考えた事が無かった。

けれどまぁ、当たり前な話、嫌いな顔ではない。
というより。
多分、自分は。

ボリスは頭の中に一瞬浮かんだ言葉を振り払うようにコプチェフから目を逸らした。

突然、コプチェフの右手がこちらの左肩にかかる。
ボリスの体が左に傾いで、「何だよ、」と言葉を発そうと再び振り向いた瞬間。


すぐ目の前に、コプチェフの顔。
心臓が飛びあがる。


人間の脳とはこんなにも性能の良いものだったろうか、と思ってしまうほどに、一瞬で色々な事が思い浮かんだ。けれど最終的に、思考の大半を締めていたのは。
「まさかこんな人目に付く所で、」という言葉で。


コプチェフはボリスの左肩に手をかけたまま、ボリスの左手の中にあったクレープに大きく噛みついた。

ボリスの体は硬直したままだ。

「んー、俺もバナナにすれば良かったかも…どうしたの?」

コプチェフが顔を覗き込んでくる。
とんでもない勘違いをした事に気付き、ボリスは顔をひきつらせた。何か言い訳をしなくては、と思いながらも、何も思いつかない。
仕方なくボリスは、左手に持っていたクレープをずいっとコプチェフに差し出した。

「…やる」
「何で?」
「…食う気しねぇ」

愛想の無い言い方なのは自分でも分かっている。けれどそれを改めなくてもいい相手だから、自分は救われているのだ。

ボリスが差し出したクレープを、「じゃあ交換」と言ってコプチェフは受取り、半分以下になったベリーのクレープをボリスの手に押し付けてきた。
話を聞いていないのはお互い様だけれど、食べる気がしないと言っている相手にこの行動。
けれど自分の思考がバレなかった事に安堵したボリスは、突き返したりはせずに、押しつけられたクレープに口を付けた。
バナナとは違って、甘酸っぱい。
これはこれで美味いけどな、とボリスは心の中で思った。


どうでもいい雑談をしながらクレープを食べ終わり、立ち上がって歩き始める。
ベンチに座っていた先ほどの女たちがコプチェフに気づいて、再び手を振った。手を振り返すコプチェフ。
それを隣で眺めていたボリスは、彼の顔に浮かんでいる笑みが、いつも自分に向けられるものとは違う事に気がついた。

それがどんなふうに違うかなんて。
説明するのは難しいけれど。
何故違うのかという理由は。



きっと俺が一番知ってる




歩き始めたコプチェフが急に、ボリスの肩を抱いた。

驚きはしたものの、友人同士でも特別におかしい行動では無かったので特に咎めず、そのままにしておく。

コプチェフはこちらの耳元に顔を近づけて、こう言った。


「キスされると、思ったでしょ」


抱いた肩を急に離し、ニッと笑って見せるその顔。

ああ、やっぱりさっきの顔とは違うな、と思ってから、コプチェフの言葉がじわじわと頭に侵入し。


バレて、いた。



ボリスは無言で足を速めて、いっその事このままアイツをここに放置してしまおうか、と思う。

後ろで「おーい」とわざとらしく声を上げている男が、いずれ追い付いてくる事は分かっている。
分かっているから、自分はこうして、自分のままで居られるのだ。

それは不本意ではあるけれど、彼なしではもう、自分は。

ボリスは振り向いて言った。


「早く来やがれ!置いてくぞ!」


満面の笑みを浮かべているコプチェフを見て、胸がギュッとした。


その感覚の名前は、今ならすぐに分かる。
頭に思い浮かべたその言葉を何度か反芻して。


ボリスは、喉の奥で笑った。







2009.11.03

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