闇には非ず、
□一
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ある冬の日。
人で賑わう大通り。
今日は市が開かれる日の様だ。
まだ早朝だというに数多くの出店が並び、威勢の良い声が飛び交う。
「兄ちゃん鯵の開き五枚くれるかい」
「よっしゃ毎度あり。んじゃ一枚まけちゃおうかねぇ」
「お、いいのかい。太っ腹!」
そのうちの一軒の乾物屋。
若く威勢の良い男が人好きのする笑顔で店を切り盛りする様は何ら不思議はなく、その場に溶け込んでいた。
そこにまた新たな客が一人顔を出す。
「兄ちゃんいいかい」
「あいよ!何にするね?」
「烏賊の干したのあるかい?」
「どの烏賊がいい?いろいろあるよ」
「アオリがいいね、でかいのがいい」
その言葉に店主は片眉を微かに上げ、だが次の瞬間にはまた顔に笑みを浮かべ、大袈裟に嘆いてみせた。
「すまないねぇお客さん。
アオリは冬にはなかなか入ってこないんだよ。
それより今日は昆布いいのがあるんだ」
「じゃぁその昆布、でかいのおくれよ」
「あいよ!」
大きく手を打って、店主は手際よく昆布を紙に包む。
そうして包みを客に渡した。
「ありがとさん」
「あいよ、毎度あり」
包みを受け取った客は、店主に小銭を手渡して帰って行った。
店主は受け取った小銭を手の平に広げて確認する。
そして、注視していなければ解らない程薄く、口許を歪めて笑った。
その小銭を勘定笊ではなく袂に入れ込み、何気ない様子で再び客を相手にし始めたのだった。
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やがて日も傾き、店終いをする所も増え出した。
乾物屋も、そろそろかと店を畳み、揚々と歩き出す。
首に手拭いを下げて両の袂に腕を入れて歩いていた男は、町外れに来ると一度だけ後ろを振り返り、品やかな身の熟しで裏路地へと身を潜めた。
「おい、居るか」
男はそう一声掛ける。
すると音も無く、目の前には全身を黒に包んだ男が姿を現した。
それは言うまでもなく忍で、男は驚くでもなく無表情でその忍を見遣っていた。
「上々だ。此れを殿に。
俺も直ぐに帰参じる」
そうして袂から件の客から受け取った銭を取り出し、忍へと差し出す。
銭に見えたそれはどうやら別の物で。
忍は確認すると声も無く一度頷き、現れた時と同じく音も無く姿を消した。
「ふぅ。では帰途につくとするか」
男は忍の気配が消えたのを悟ると独りごちた。
その声は先程までの威勢の良いものとは違い、男にしては若干華奢で高い。
そして徐にだらし無く着崩していた着物を正し、短い髪を整える。
着流しの裾を上げていた事で露になっていた脛も隠して帯も締め直し、その場に潜ませていた小刀を腰に差した。
そして仕舞いに手拭いで顔を拭き、袂に入れていた白粉を顔に叩く。
するとだ。
先程まで乾物を売っていた人好きのする笑顔の男は、仏頂面の牢人へと姿を変えた。
眉に寄る皺や鋭い目付きは先程まで愛想を振り撒いていた様には見えない。