無の書庫

□獣の夢
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闇夜に浮かぶのは、この世界で何よりも美しい貴方。
色素の薄い肌を惜し気なく晒し、小さく隆起した喉元はまるで捕食される事を望むかの様に揺れる。
誘われるままに唇を寄せようとして、見上げた先にあったのは全てを見透かさんとする瞳。

いけません、崇高なる貴方。
触れることは禁忌なのです。
慣れた情婦の様な媚体を見せつけられ、どれ程この雄を誑かされようとも、この一線は決して越えてはならない。
細く長くギリギリに引き絞られたその糸を、貴方はその指先で容易く絡め取って、今にも引きちぎろうとする。

お許しください、神の様な貴方。
私は我慢弱いただの男なのです。
貴方が誰よりも美しく聡明であるが故、私は誰よりも貴方が愛しくて堪らないのです。
それが罪だと言うならば、それを裁くと言うならば、どうか、懺悔を。

「いいんだよ、ルドガー」

あぁ、だから、そんな。
一人貴方への想いに苦しむ私を許すような、受け入れるような目を向けないでください。
そんな優しい指先で、私に触れないでください。
視界に広がる貴方という世界に、迷いながらも本能を滾らせ興奮させている卑しい雄に、触れないで。

「おいで、ルドガー」

「不動……博士…………」

貴方のその目は私の体や意思全てを拘束する。
白い指先がいきり立つ雄に絡み、内側に潜む白い欲を搾り取ろうと動いて。
隠そうと必死だったそれはいとも簡単に貴方の手で引き出されてしまう。
一部を露出させてしまったとしても、全ては語るまいとした私の決意などまるで力を持たず、止まることのない欲は白く、白く、貴方を覆う。
眼下で揺らめく体中に降りかかった私のおぞましいまでの白い欲は、清廉な貴方の魂までも汚すように広がり、そして貴方は捕まるのだ。

私の想いは執拗にその体へ絡み付き、捕まったが最後、逃れようと足掻いてもその両手足を余計に縛り上げ、私という獣に食べられるために体を開いてその時を待つだけ。

「最初にやってきたのは、貴方だ」

私はずっと、貴方だけは手に入れぬよう生きてきたと言うのに。
欲望の巣窟を見つけ、足を踏み入れたのは貴方だ、愛しき人。
痛みは決して感じさせない。
優しくゆっくりと時間をかけて、少しずつ少しずつ、私は、貴方を。





「……ドガー?……ルドガー!」

意識が、深い水底から急浮上する。
ほの暗い場所から一気に目覚めた反動に数回瞬きをすると、明るさに慣れた視界一杯に不動博士の姿が映った。

「これは、不動博士!も、申し訳ありませんっ…どうも、眠ってしまっていたようで…」

慌てて体を起こすと、額から重力にそって何かが流れ落ち、シャツが張り付くほどの汗をかいていることに気づいた。

「…私は……」

「まったく驚いたよ。ノックしてみても返事がないから入ってきてみれば、唸りながら寝ている君がいたんだもの。そんなに酷い夢を見ていたのかい?」

「酷い、夢…ですか」

確かに、尋常ではない量の汗に何か悪い夢でも見て魘されていたことに相違はないだろうが、思い出そうとしても最後どころか全てが薄く遠くぼやけていって、最終的に何もなくなってしまった。

「すみません…覚えていないようで」

「うーん、そっかぁ。まぁ、病気とかじゃなくて何よりだよ」

本当に何一つ覚えていなかった筈なのに、安心した様に微笑んだ不動博士の姿を見た瞬間、息も出来なくなる程の衝動が、沸き起こって。

きっと汗を大量にかいたせいで体内の水分が不足して、それで喉が痛く感じるほど水を欲しているのだ。

背筋が戦慄く程強い飢えを、恐怖に近い感情を、そう結論付けて。
ルドガーは博士の分と自分の分の飲み物を取りにいくために部屋を後にした。







end


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