無の書庫

□私と彼女と帰り道
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どうみても、姿形全ては女性であることを示しているのに、その体に纏う衣は男の物で。
黒檀の様な髪の毛も短く切り揃えセンター分けにして、目に見える全てを男に見せようとしている学ランこと、彼女。

「なぁ、敦子」

斜め後ろから名を呼ぶ声は幾分低いとは言え、やはり男性のそれではなく女性特有の高さを含んでいて、私を好きだと公言する彼女はそれでも主人が振り向くのを待つ子犬の様に私を呼ぶ。

「敦子、そろそろ俺のマジ、受け取ってくれねぇか?」

呼ばれても問いかけられても一切答えずただ帰宅の道を歩く私に、いつ痺れを切らしてもおかしくないのに彼女は懲りず名を呼び、問いかけ続ける。

「舎弟のだるまよりもっとずっと、俺はお前を思ってるんだ」

その言葉に、あつ姐、とどんなに無視をしても後をついてきて離れない彼女が、今日は用事があるからと珍しく帰宅を共にしていなかった事を思い出した。

「ダチなんかじゃいれない…ラブなんだ…敦子」

今後ろにいる彼女も、今居ない彼女もまるで主人に遊んで欲しいとまとわりつく犬の様だと思った。

「敦子ー、敦子ー」

ペットだったらすぐに振り向いて、少し遊んであげたあと放り出してしまうというのに。
彼女は人間で、振り向いてしまったらきっとその真っ直ぐな瞳が私の心のどこかを揺さぶってしまうに違いない。

(俺のマジは、お前のためにある)

左胸に拳を差し出され言われた言葉は、今でも明確に反響する。
ライクとかラブとか、そういう判別の中にあるものではなくて、ただその真っ直ぐな感情に、揺らいだ。

自分はそうではないと思っていたが、人から特別に思われると言う事はどうも心を優しく擽っていくものらしい。

「好きだ、敦子」

だから、決して振り向きはしないけどその言葉は受けとめる。
脳の中に保存する。
今いない彼女の、私のためにした行動、言ってくれた言葉、それと同様に。
今後ろで少しへこみ気味な彼女の全てを、共に。

多分私はそうやって求められるものを素直に形にして返せない人間で、それでも私なりに答えるために何かを作っていくしかなくて。
そうやって作っていくものが少しでも彼女達の笑顔の糧になってくれたのならいい。
そう思えるようになったのは勿論、彼女達の存在があったから。

「あつ…」

「さようなら」

バイト先に到着したので後ろへと振り向き別れの言葉を口にすると、彼女は笑顔を弾けさせたあと、すぐにしょんぼりとしてまたな、と言った。
とぼとぼと来た道を戻るように歩く彼女の背中を見つめ一言、気づかれないように微笑みながら呟いた。

「また、明日」

転入当初にはもう二度と言う事は無いだろうと思っていた、とても日常的な淡い約束を。






end


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